日本人の心をとらえたプラチナ
江戸時代 ミキモト「矢車」 (写真:御木本真珠島)
日本人が初めてプラチナに出会ったのは江戸時代末期。幕府が派遣した遣欧使節がロシアでプラチナ塊を見たときとされています。 その後、金の現世的な色彩に相対するものとして、精神性を表わす洗練されたものが好まれてきた日本で、プラチナはより神聖なイメージをもって広まっていきました。
明治時代 プラチナ製ティアラ (写真:ミキモト)
一部の貴族や華族の女性がプラチナを身につけ始め、プラチナはステイタスの象徴に。希少価値があり、高級であるイメージが確立されたのもこの頃です。
大正時代 大正〜昭和初期の プラチナ・ジュエリー
大正6年(1920)、大正皇后のティアラが初めて国内で作られ、プラチナは最高の貴金属としての地位を得ます。 以来、多くの宝石店が和装に似合う日本的アイテムをプラチナで作るようになり、身近な存在としても認知されるようになっていきました。
昭和〜昭和34年(1959)美智子皇后がご成婚時におつけになった、プラチナとダイヤのティアラが火付け役になり、プラチナとダイヤの婚約指輪を贈る習慣が急速に普及。永遠に変わらないピュアな愛の象徴として、清楚で気品のある白い輝きは絶大な支持を得て、その人気は今も不動の地位を保っています。 昔から日本人には、簡素で控えめなものに洗練された美を見いだす感性が根付いていました。 日本でのプラチナの歴史はわずか100年余りですが、プラチナの落ち着いた深みのある輝きが私たちの心をとらえたのは、当然のことかもしれません。
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